とある地方の裁判所。
今日は、窃盗罪に問われている少年の裁判が予定されている。
その被告人の少年と母親が並んで座って待っていると、スーツ姿の青年がやってきた。
先に気付いたのは少年のほうだ。
「あんた……」
青年が少年に頷き返すと、母親も気付いて慌てて立ちあがった。
「仰木さん」
おおげさなくらい大きくお辞儀をする。
「退院されたんですね、よかった」
「あれから、この子にいろいろと聞きました。本当にお世話になったようで」
「いえ、僕は何もしてあげることができなくて……」
「そんなことありません。仰木さんだけはどんなときも味方でいてくれたんだってこの子、話してましたから」
それを聞いて、少年は気まずそうに下を向く。
「本当にありがたく思っております。あの、弁護士さんまで紹介して頂いて……」
ああ、と青年は頷いた。
「色部さんはこういった裁判をよく扱われてますから、必ず納得のいく結果になると思いますよ」
「ええ、この子のことをとてもよく考えてくださって、費用のことも相談に乗ってくださいましたし……」
その後も、母親の仕事のことから少年の今後の話まで、青年と母親の会話はしばらく続いた。
青年──こと仰木高耶は今、とある地方の家庭裁判所で少年係の調査官として勤務していた。
"あの日"からはもう、かなりの月日が経っている。
けれど高耶は未だ、直江に連絡をすることが出来ずにいた。
親子と別れた高耶が建物の出口へ向かっていると、廊下の向こうから初老の男性がやってきて声をかけられた。
「やあ」
「色部さん」
手を上げた色部に、高耶は頭を下げる。
「今回はいろいろとお世話になります」
「いやいや、やめてくれないか」
にこやかに頭を上げさせた色部は、
「それよりちょっと、時間あるかな」
目配せをしながらそう言った。
「ええ、大丈夫ですが……」
「君に会わせたい男がいてな、もうすぐ来ると思うんだが……」
色部は引き返す形となって、ふたりが並んで歩き出すと、
「ああ、来た来た」
色部が前方を指差した。
その方向を見て、高耶は唖然となる。
相手の男も、こちらへ向かっていた足をぴたりと止めた。
「な……おえ……」
男の名を呼んだその声は、驚きのあまり掠れていた。
しばらく高耶を凝視していた直江は、やがて息を吐くと、
「色部さん」
色部に向かって、非難するように言った。
「急に呼び出したりするから、おかしいと思ったんです」
高耶の方は見ず、話しかけることもしない。
「なんで……」
高耶は動くことができないまま、それだけを呟いた。
「何か会えない事情があるのはわかるがな、いつまでもこのままではいられないだろう?」
「いいえ。私から話すことは何もない」
直江は表情を全く変えないまま、
「失礼します」
一礼すると、高耶が声をかける間もなく行ってしまった。
「あんな態度だがな、いつも君のことを根掘り葉掘り聞いてくるんだ」
色部が苦笑いの顔でフォローを入れる。
「直接、話してやって欲しい」
その言葉に促されて、高耶は直江のあとを追うために走り出した。
「直江……ッ!」
建物を出たところでやっと追いついた高耶は、息を切らしながら直江を呼び止める。
立ち止まった直江は、観念したように振り返った。
「あなたが連絡をくれるまでは、絶対に会わないつもりだったんですが」
やっと、その顔に表情が生まれた。
「立派な調査官になられたようですね」
ふたりの視線が結ばれて、直江の口元には笑みが浮かぶ。
「色部さんから、色々と聞いてはいました」
眼の前の直江は、以前と何も変わっていない。
「……まだ新米で、うまくいかないことばかりだ」
思い描いていたままの直江だ。
「おまえこそ、それ」
直江の胸の紀章を指差しながら、高耶は時間が昔に戻っていくような感覚を覚えていた。
「ええ。あなたが夢を思い出させてくれたおかげです」
「なお───」
「いいんです。何も言わなくて」
直江は視線を下に落としながら、首を横に振った。
「あなたがどんなつもりでいようと、例えわずかな望みすらなくとも、私は待ちます。十年でも二十年でも、もし永劫の命があるというのならば永劫────」
「直江。違うんだ」
聞いてもらいたくて、高耶は一歩前へ出た。
「待たなくていい」
「………?」
「今日色部さんに担当してもらうあいつな、オレが独り立ちして初めて担当したやつなんだ。あいつとは本当にいろいろあって……ちゃんと更正するまで見届けようと思ってた」
懸命に喋る高耶に、直江は静かに耳を貸している。
「今回の裁判が終わればきっと完璧に立ち直れる。いや、もうたぶん立ち直ってる」
高耶は笑顔になって話す。
「何より家族がちゃんとそばにいるから、オレの出る幕もないしな。………あいつが一人前になれれば、オレも一人前になれる気がしてた。重ねてたんだ、あいつに。自分を……」
高耶の顔から笑みが消えた。
「ずっとおまえに連絡したいと思ってた。でも、出来なかったんだ」
「高耶さん」
「連れて行ってもらうのが、嫌だったから」
天国に、と言うと、直江ははっとした顔をした。
「おまえに連れて行ってもらうんじゃなくて」
高耶は直江を見る眼に力を込めた。
「一緒に行くんだ」
天上の夢のような世界ではなく、この地上を、現実を、楽園とするために。
ともに歩いていくのだ。
「高耶さん……」
やっと今日、その道を歩いてゆける自信がついた。
自分なら、そして直江なら、必ずその道をゆける。
しっかりと、歩いてゆける。
「ついて来いよ」
「……高耶さんっ」
直江が堪えきれないといった感じで歩み寄ってくる。
遅れるなよ、と付け足す前に、抱き寄せられて唇を塞がれた。
今日は、窃盗罪に問われている少年の裁判が予定されている。
その被告人の少年と母親が並んで座って待っていると、スーツ姿の青年がやってきた。
先に気付いたのは少年のほうだ。
「あんた……」
青年が少年に頷き返すと、母親も気付いて慌てて立ちあがった。
「仰木さん」
おおげさなくらい大きくお辞儀をする。
「退院されたんですね、よかった」
「あれから、この子にいろいろと聞きました。本当にお世話になったようで」
「いえ、僕は何もしてあげることができなくて……」
「そんなことありません。仰木さんだけはどんなときも味方でいてくれたんだってこの子、話してましたから」
それを聞いて、少年は気まずそうに下を向く。
「本当にありがたく思っております。あの、弁護士さんまで紹介して頂いて……」
ああ、と青年は頷いた。
「色部さんはこういった裁判をよく扱われてますから、必ず納得のいく結果になると思いますよ」
「ええ、この子のことをとてもよく考えてくださって、費用のことも相談に乗ってくださいましたし……」
その後も、母親の仕事のことから少年の今後の話まで、青年と母親の会話はしばらく続いた。
青年──こと仰木高耶は今、とある地方の家庭裁判所で少年係の調査官として勤務していた。
"あの日"からはもう、かなりの月日が経っている。
けれど高耶は未だ、直江に連絡をすることが出来ずにいた。
親子と別れた高耶が建物の出口へ向かっていると、廊下の向こうから初老の男性がやってきて声をかけられた。
「やあ」
「色部さん」
手を上げた色部に、高耶は頭を下げる。
「今回はいろいろとお世話になります」
「いやいや、やめてくれないか」
にこやかに頭を上げさせた色部は、
「それよりちょっと、時間あるかな」
目配せをしながらそう言った。
「ええ、大丈夫ですが……」
「君に会わせたい男がいてな、もうすぐ来ると思うんだが……」
色部は引き返す形となって、ふたりが並んで歩き出すと、
「ああ、来た来た」
色部が前方を指差した。
その方向を見て、高耶は唖然となる。
相手の男も、こちらへ向かっていた足をぴたりと止めた。
「な……おえ……」
男の名を呼んだその声は、驚きのあまり掠れていた。
しばらく高耶を凝視していた直江は、やがて息を吐くと、
「色部さん」
色部に向かって、非難するように言った。
「急に呼び出したりするから、おかしいと思ったんです」
高耶の方は見ず、話しかけることもしない。
「なんで……」
高耶は動くことができないまま、それだけを呟いた。
「何か会えない事情があるのはわかるがな、いつまでもこのままではいられないだろう?」
「いいえ。私から話すことは何もない」
直江は表情を全く変えないまま、
「失礼します」
一礼すると、高耶が声をかける間もなく行ってしまった。
「あんな態度だがな、いつも君のことを根掘り葉掘り聞いてくるんだ」
色部が苦笑いの顔でフォローを入れる。
「直接、話してやって欲しい」
その言葉に促されて、高耶は直江のあとを追うために走り出した。
「直江……ッ!」
建物を出たところでやっと追いついた高耶は、息を切らしながら直江を呼び止める。
立ち止まった直江は、観念したように振り返った。
「あなたが連絡をくれるまでは、絶対に会わないつもりだったんですが」
やっと、その顔に表情が生まれた。
「立派な調査官になられたようですね」
ふたりの視線が結ばれて、直江の口元には笑みが浮かぶ。
「色部さんから、色々と聞いてはいました」
眼の前の直江は、以前と何も変わっていない。
「……まだ新米で、うまくいかないことばかりだ」
思い描いていたままの直江だ。
「おまえこそ、それ」
直江の胸の紀章を指差しながら、高耶は時間が昔に戻っていくような感覚を覚えていた。
「ええ。あなたが夢を思い出させてくれたおかげです」
「なお───」
「いいんです。何も言わなくて」
直江は視線を下に落としながら、首を横に振った。
「あなたがどんなつもりでいようと、例えわずかな望みすらなくとも、私は待ちます。十年でも二十年でも、もし永劫の命があるというのならば永劫────」
「直江。違うんだ」
聞いてもらいたくて、高耶は一歩前へ出た。
「待たなくていい」
「………?」
「今日色部さんに担当してもらうあいつな、オレが独り立ちして初めて担当したやつなんだ。あいつとは本当にいろいろあって……ちゃんと更正するまで見届けようと思ってた」
懸命に喋る高耶に、直江は静かに耳を貸している。
「今回の裁判が終わればきっと完璧に立ち直れる。いや、もうたぶん立ち直ってる」
高耶は笑顔になって話す。
「何より家族がちゃんとそばにいるから、オレの出る幕もないしな。………あいつが一人前になれれば、オレも一人前になれる気がしてた。重ねてたんだ、あいつに。自分を……」
高耶の顔から笑みが消えた。
「ずっとおまえに連絡したいと思ってた。でも、出来なかったんだ」
「高耶さん」
「連れて行ってもらうのが、嫌だったから」
天国に、と言うと、直江ははっとした顔をした。
「おまえに連れて行ってもらうんじゃなくて」
高耶は直江を見る眼に力を込めた。
「一緒に行くんだ」
天上の夢のような世界ではなく、この地上を、現実を、楽園とするために。
ともに歩いていくのだ。
「高耶さん……」
やっと今日、その道を歩いてゆける自信がついた。
自分なら、そして直江なら、必ずその道をゆける。
しっかりと、歩いてゆける。
「ついて来いよ」
「……高耶さんっ」
直江が堪えきれないといった感じで歩み寄ってくる。
遅れるなよ、と付け足す前に、抱き寄せられて唇を塞がれた。
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